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奈良県桜井市箸中で活動する箸中区自治会です

プロフィールprofile

箸中区自治会は、住みよい街づくりを目指しています。

組織・役員

役職 人数
区長 1名
副区長 3名 
議員 7名

箸中区自治会について

箸中区では、箸中区自治会と、ホケノ山景観保全を語る会、箸中区自主防災会、グリーンはしなか、と活動団体を有し、防犯・防災・交通安全・環境美化・福祉などの住みよい街づくりを目指し、住民の皆様の相互理解と協力のもとでいろいろな活動を行っております。

箸中の見どころ

箸墓古墳
 初めて日本に出現した巨大前方後円墳(全長280b 全国第11位)。卑弥呼の墓とも言われる。
「魏志倭人伝」に「卑弥呼以って死す。大いに冢をつくること径百余歩・・・」この径の長さ、箸墓古墳後円部の径155bにほぼ一致する。
 第7代孝霊天皇の皇女倭迹迹(やまととと)日百襲姫(ひももそひめの)命(みこと)の大市墓に陵墓指定され、立ち入り を制限されている。
 尚,倭迹迹日百襲姫命を祀る神社は茅原にある神(かみの)御前(ごぜん)神社(じんじゃ)である。

ホケノ山古墳
 全長80b、後円部径60b、後円部高さ8.5b、前方部長さ20b、前方部高さ3.5b前方部を南東に向けた前方後円墳。わが国で初めて確認された埋葬施設:板囲い木槨 5bのコウヤマキの刳り貫き式木簡中国製鏡や銅鐸刀剣類など出土、箸墓古墳より古く3世紀中ころか。
 同じ墳丘に6世紀の横穴式石室と3世紀後半の直葬の木棺墓もあります。

国津神社
 天照大神の玉を物実として生まれた御子神5柱つまり、正哉吾勝速日天忍穂耳尊(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)・天穂日命(あめのほひのみこと)・天津彦根命(あまつひこねのみこと)・活津彦根命(いくつひこねのみこと)・熊野橡樟日命(くまのくすびのみこと)をご祭神としている。
 本殿の前の狛犬は、江戸時代後期の嘉永6年(1853年)の名がある。

山の辺の道

 三輪から奈良へ通じる古道です。歴史に登場する道路のうちで最古の古道と呼ばれ、現在その道をはっきりと跡づけることはできませんが、海柘榴市(つばいち)から三輪、景行、崇神陵を経て、石上から北上する道と考えられています。

檜原(ひばら)神社

 祭神は天照大神。大神神社と同じく本殿のない古代信仰の形をとる。崇神天皇のころ、宮殿から出られた天照大神を最初に祀った地笠縫邑(かさぬいむら)伝承地(でんしょうち)。(元伊勢(もといせ))尚、天照大神をお守りした豊鍬入姫命を祀る社は拝所の北隅にある。また鳥居越の入日の名所である。
   祭典  1月成人の日 箸中村桧原敬神正言講祭
       8月28日   桧原祭(箸中・芝村参加)
      11月 5日   豊鍬入姫宮例祭

井寺池

 上池と下池があり、下池の北東に明治以前は幻の井寺(井照寺)があった。大和盆地が一望できる景勝地。池の周囲に多くの歌碑がある。尚、井照寺にあった十一面観音像や半鐘などは慶運寺に受け継がれている。

纏向(まきむく)川

 纒向山と三輪山を源流にした清流である。柿本人麻呂はこれらの山や川を多くの万葉歌に詠んだ。また激しい流れは水車に利用され小麦を製粉し、三輪ソーメン作りを盛んにした。そして車谷の地名にもなった。

宮ノ前古墳

 国津神社社殿の裏に存在する径15bの円墳。墳丘上には大きな石が3つ確認できることから横穴式石室ではないかと考えられている。

堂ノ後(どうのうしろ)古墳

 全長60m以上の前方後円墳。墳丘はかなり削り取られ、現在は径35m程の円墳状になっている。葺石・周濠があり、地中レーダー探査などによって国内最古、3世紀前半の築造と考えられていた。しかし、2009(平成21)年、桜井市教育委員会が行った調査で出土した円筒埴輪や鶏形埴輪、須恵器などから5世紀後半の築造であることが判明している。

茶ノ木古墳

 不整形な高まりが残る古墳。墳丘は径35b、集合幅約7bの円墳?

慶運寺古墳

 慶運寺周辺にはかつて、6基の古墳があったらしい。墳丘が改変され、墳形は不明だが、円墳と思われる。
 南に乱石積の両袖式横穴式石室が開口する。石室長3m、幅1.8m、高さ2mで、羨道は一部削られている。
 本道西に建治型と呼ばれる弥勒菩薩を刻んだ刳抜式石棺の身があるが、どの古墳のものかは不明。

上街道
 古代から続く上ッ道を引き継ぎ、奈良と桜井を結ぶ街道である。奈良の猿沢の池から桜井の慈恩寺までつながっている。平安貴族の長谷寺参り、近世の伊勢へのおかげ参りと多くの人々が行き交った。
   ※壬申の乱古戦場
    日本書紀 天武天皇上元年7月の条 「三輪(みわの)君(きみ)高市(たけち)麻呂(まろ)、
    置始連莵(おきそめのむらじうさぎ)、上道に当たって、 箸陵のほとりで戦う。大いに近江軍を破り・・」

苧環塚(おだまきづか)

 古事記に、三輪山付近に活玉依媛(いくたまよりひめ)という美しい姫がいて、夜毎通う男がいました。
 やがて姫は懐妊。親は男の正体を知るため、寝床のあたりに赤い土をまき、苧環(おだまき)の絲の端を針にとおして、男の着物の裾に刺しておくよう親からいわれました。娘は教えられたようにしました。翌朝、その糸の端は三輪山にいって止まり、あとには三輪だけ残っていました。姫はここで始めて男が神のみこと(大物主神)と知り、残りの糸を土に埋めました。それがこの苧環塚です。

箸中長者屋敷跡

 松尾寺縁起に起因するらしい。箸中村の清助は貧しいが信仰心が篤かった。それを聞いた弘法大師は自作の大黒天を彼に与え、さらに信仰心を深めた清助は長者になったという話である。その屋敷跡にはネズミモチの木が植えられていて、今にも元気に立っている。何年経っても枯れもせず大きくもならない

   

箸中区自治会

〒633-0072
奈良県桜井市箸中